貧困問題は日本にもある

日本にも貧困問題は存在する。

親日国の人の目から見ると日本は豊かで、人々は礼儀正しく優しい人ばかりに見えるようだ。
しかし、実際の日本は貧困問題を抱える子供が6人に1人もいると言われている。
確かに、発展途上国から見る日本の姿はきらびやかだが、実際の日本は餓死する人もいまだにいる国である。
だから、先進国を代表するような国であっても、普通に貧困問題は存在し、解決できていない。



子供の貧困に注目すると。

小学校の教員をしている知り合いがいる。

その人が言うには夏休み明けが切ないという。


なぜなら、夏休みを満喫したと分かる子供たちの中に、げっそり痩せて食事が十分にとれなかったことが分かる子供が混じっているからだという。
海外で貧困問題の真っただ中にいる子供は普段の生活の中でもそれが透けて見えるのに、日本は何かのきっかけがなければ表面化しないようだ。
これは残念なことである。

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片足はサンダル、片足は運動靴の女の子。

我が家は転勤族で、子供は海外、日本織り交ぜで、4回ほど学校を変えている。

初めて日本の小学校で見たことが今でも忘れられない。


どんなことかというと、私たちが来たのは9月で、しばらくの間、子供が希望するので学校までお迎えに行っていた。
すると、片足はサンダル、片足は運動靴という変わったスタイルの女の子がいた。

今は色々なお子さんがいるので、それがその子のお気に入りのスタイルなのかなと思いながら見ていた。


その後、もうママはいいからと言われ、お迎えをやめた。

しかしながら、ある冬の大雨の日、同じ子を見かけた。

かなり冷え込んでいるのにあの時と同じ片足はサンダル、片足は運動靴のスタイルで下校していた。
しかも、服装は思ってみれば9月の頃と同じ半袖にショートパンツだった。


貧困という二文字が頭をよぎった。

その子が抱えている問題は、もしかしたら貧困ではなくネグレクトなのかもしれない。

どちらにしろ、違いは物質的なのか、精神的なのかの違いで、問題の核にあるのは貧しさだ。


今でも小学生を見るたびに、その子のことを思い出す。
元気でいてくれたらいいなと思っている。



貧困は恥ずべきことなのか。

日本には貧困を恥とする文化がある。
貧困の度合いが深刻な人ほど、周囲の助けが必要な人ほど、声を上げることをためらうようだ。
一方、海外では日本ほど恥としないようだ。
困っている時はお互い様、困っている人の為ではなく自分のために、助けるという行為をする。
問題を抱える人と関わることでトラブルに発展することもあるから、個人で助けるべきとは言えないが、子供の虐待問題と同様に、気がついたら通報できるところを人々の間に認知させる活動があっても良いかもしれない。

貧困問題はとても身近な問題だと認識しよう。

この世に生まれて誰が貧困の中で生きたいと思うだろうか。
最近は日本でも、子ども食堂やフードバンクの存在が知られるようになったが、活動がニュースなどに取り上げられるということはまだ十分に行き届いていないということではないか。
貧困問題に苦しんでいるのは遠い外国の話ではなく、すぐ隣に住む家族が抱えている問題かもしれないという認識が必要なのではないだろうか。

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