間違った使い方をしていることがある日本語の難しさ
日本語の難しさ
日常生活の中で「正しい」と思って使っている言葉も、間違った使い方をしていることがとても多く、「日本語は難しいものだ」と実感させられます。友人の話しや、芸人のコントなどがおもしろいと、ツボにはまりひとりでもゲラゲラ笑ってしまうことがあります。
この笑いを多くの方が「爆笑する」と言いますが、間違った使い方をしています。
笑いに関連した「爆笑」と「失笑」
「たくさんの人たちが一緒にどっと笑うこと」を「爆笑」と言い、ツボにはまってひとりでゲラゲラ笑うときは、「爆笑」ではなく、たくさんの人たちが一緒に笑うときに「爆笑」と言います。また、笑いに関連した「失笑」は、おかしな言動や行動に対して、ばかにしたような冷淡な笑みを浮かべることと思いがちですが、間違った使い方をしています。
おかしさにこらえきれず、吹き出してしまうとき、思わず笑い出してしまうとき、「失笑する」と言います。
「敷居が高い」と「さわり」
雰囲気がよさそうな店を見つけたとき、「敷居が高過ぎて入り難い」と言いがちですが、間違った使い方をしています。義理を欠くことや、迷惑をかけるようなことがあった家には行き難いとき、「敷居が高い」と言います。
自分に合わないときやふさわしくないときには、「ハードルが高い」、「レベルが高い」、「分不相応」などと言います。
「さわりの部分だけ教えてほしい」や、「話のさわりの部分だけ聞いた」のように使われる“さわりの部分”を、「最初の部分」と多くの方が思っているかもしれませんが、間違った使い方をしています。
話の要点や、物事の最も大切な部分のことを「さわり」と言います。
江戸時代、三味線の伴奏つきで物語を語る“浄瑠璃”に使われていた楽曲“義太夫節”の中の“義太夫節”とは別の旋律の部分を「さわり」と言いました。
別の旋律を取り入れ曲調が変わることによって、劇的な効果を狙うことが「楽曲の中心となる聞かせどころ」という意味に転じました。
さらに、「物語や映画の最も盛り上がる重要な場面」を「さわり」と言うようになりました。
「見栄を張る」と「見得を切る」
本来の意味を誤用しているだけではなく、間違った表現を使っていることもあります。自分をよく見せようと無理をしてうわべを取り繕うとき、「見栄を張る」と言います。
一方、歌舞伎の演出のひとつ「見得を切る」は、観客の関心を役者に集中させるため、クライマックスの場面で一時舞台を中断し、役者が決めた形に動きを止める独特の演技のことです。
この演技から転じて、「自分を誇示するような言動を相手にとること」、「いいところを見せようと無理をすること」を「見得を切る」と言います。
間違った使い方をされやすい表現
「熱にうなされる」と間違った使い方をされやすい、高熱のためうわごとを言う意味の表現は、「熱に浮かされる」と言い、見境がなくなるほど夢中になることも意味しています。「不正行為が明るみになる」と間違った使い方をされやすい“明るみ”は明るいところや明るさが転じた「公の場所」を意味します。
「隠れていた事実が表面化し、世間の目に触れるようになる」という意味で「明るみに出る」と言います。
「明るみになる」は、「明白になる」と言う意味の「明らかになる」と混同した間違った使い方です。
「過半数を超える」と使いがちですが、「過半数に達する」、「過半数を占める」、「半数を超える」と言い、これらの正しい表現が混同した結果、間違った使い方になったのかもしれません。
このように、日常生活において、間違った使い方や言い方をしている言葉をよく耳にしています。
間違った使い方や言い方によって、違う意味で伝わってしまう可能性があることを知っておく必要がある一方、意味や使われ方が変化している言葉もあります。