ゲームの素晴らしさを伝えたい

ゲーム障害の注意が叫ばれる昨今

昨今、テレビやネットなどでゲーム障害の注意を喚起するものをよく見かける。いちゲーマーとしては凄く悲しい気分になってしまう。
たしかにゲームに依存的になってしまう子供たちが苦しんでいるのは紛れもない事実だし、そこに異論を唱えているわけではない。
ただ、「ゲーム障害」という仰々しい診断名がWHOにより認定されたことで、いささかセンセーショナルに叫ばれ過ぎているように思うのだ。
ゲームに対する嫌悪は、今に始まったことではない。初代のファミコンが出た時代などは、”頭が悪くなる機械”と当時の親世代からは激しく嫌悪されていたという話は聞いたことがあるだろう。
今までもどちらかと言えば日陰的であまりいいイメージのないジャンルだった。

そんな時代だからこそ、ゲームの素晴らしさを語ってみようと思ったのである。

ゲームの素晴らしさのひとつはシナリオである

ゲームのジャンルにはRPGと呼ばれるものがある。
ロールプレイングゲームの略で、プレイヤーはゲームの世界の主人公という役割を全うすること楽しめるものだ。
役割があるということは、そこに物語があるということである。

ゲームをしない人でも、小説や映画・ドラマ、舞台などに心を震わせたことがあるだろう。登場人物に共感し、感動し、心を揺さぶられる経験をしたことがある人は多いはずだ。
それはRPGでも、実現可能なのだ。

この世の中には物語性、つまりシナリオを重視した素晴らしいRPGがたくさんある。
百聞は一見に如かず、ぜひ1タイトルでもプレイしてみてほしい。
名作と言われるファイナルファンタージーX、糸井重里がゲームデザインを務めた「MOTHERシリーズ」などがおすすめだ。
あなたの心もしかしたら、揺さぶられるかもしれない。



ゲームは楽しみながら試行錯誤能力を身につけられるツールだ

どんなジャンルのゲームでも、攻略をするというところに楽しみがある、といっても過言ではない。
そして攻略の課程で「ああでもない」「こうでもない」と工夫することで、考える力が身につくのだ。
「たかがゲームの攻略でしょ?」と侮ってはいけない。
ゲーマーたちが攻略を進める中で、制作者側の意図しない攻略方法が見つかることがある。


製作者が出したタイトルにおける”ゲームの可能性”をゲーマーが凌駕してしまうのだ。
そこには集団で知恵を出し合って、協力し合って課題を乗り越える達成感のようなものがある。

この過程を経験した人は、試行錯誤能力がワンランクアップしているはずだ。

そしてゲームの中でも『対人戦ゲーム』と呼ばれるプレイヤー同士が戦うジャンルにおいては、攻略は熾烈を極める。
その熾烈さは将棋や囲碁麻雀などに勝るとも劣らないと筆者は思う。

なんといっても相手は”生身の人間”なのだ。
相手の思考のクセや特徴的な行動パターン、経験、直感などあらゆる感覚を駆使して戦っていく。
真剣にやれば試行錯誤能力がかなり鍛えられるだろう。


ちなみに2018年に流行語として選出された『e-Sports』が盛んなジャンルはここに属するものが多い。
もしかしたら遠くない未来、オリンピック競技になるものが出てきてもおかしくないのだ。



ゲームを通して人間関係を学べる

ここまで熱弁しておいてなんだが、ゲームは結局のところ人間同士の『コミュニケーションのツール』でしかない。
というより、だからこそ価値があるのだ。多くのゲーマーはゲームを通じて人とのかかわりを求めているものである。
もしこの地球上に自分しかいない環境でゲーム機が目の前に置いてあったとしても、ゲーマーでもほとんど触らないだろう。

ゲーム障害は、ゲームそのものの中毒性をことさらに報じるが、ゲームそのものに依存している人はほとんどいない。
ゲーム障害の対象となっている人達のほとんどがオンラインゲームという人との関わりがあるものにハマっている。
つまりネット上に自分の役割、存在価値を見出しているのだ。
彼らが依存しているのはゲームではなくまぎれもなく人である。


世間には、そこを正しく認識してほしいと切に願う。

少し話が逸れてしまったが、ゲームとは対人関係の中で成立する側面の強いものである。
ゲームの話題でもりあがり、人と繋がり、その仲間たちとの間で人間関係を学ぶことができる。
ゲームのコミュニティにはいろいろな人があつまってくるものだ。
その中でコミュニティ内での自分の立ち回りや、大切にするべき価値観がわかってくることだってあるだろう。

ゲームの素晴らしさはゲームそのものにもあるが、ゲームをすることで得られる感動や共感、試行錯誤力、人間関係など、本当の魅力はゲームのその先で発生することにもあるのだ。
是非、苦手意識のある人ほど、一度触ってみてほしい。
ゲームそのものの印象はきっと変わるだろう。

そしてゲーム障害に対する理解度も変わってくるはずだ。
そんな人々が増えたら、私は嬉しいと思う。

長文かつ駄文で申し訳なかったが、何か伝わるものがあれば幸いである。

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