貧困な人が悪とは決めつけられないのである

政治家の言いなりにならないこと
むかしは政治家と聞くと立派な人間だと感じましたが、最近は立派どころか国民をだまして税金がっぽり取り国民の血と汗の税金を自由に使っている悪人としか思わない。
政治家やそれに付随する集団のやっていることは決して立派ではなく、一生懸命働いて真面目に税金を納めている国民のほうが比較にならない方が立派だ。

その国民が貧困で困っている状況で、きちんと国民を救わない政府は腐敗していると言える。
新型コロナウイルス対策で飲食業や観光業者は大打撃だ。
にもかかわらず、未だに消費税を10%もぼったくっている状況である。

体力のある会社なら、今の大恐慌をなんとか乗り越えられるかもしれないが、体力のない会社は霧のように消えてなくなる。
そうなればますます貧困にあえぐ人間が増える。

政治家は国民目線に立って仕事をしなければならず、それが出来ない政治家など必要ないと国民が立ち上がらなければならない。
自分たちの運命を一部の訳の分からない権力者に任せてしまってはならない。
貧困層の生活を味わったことのない政治家やそれに近い人間の言いなりでは貧困からの脱出はないと思っていいだろう。

まずは、消費税を0%にし、国民全員を救う政治運動が必要ではないだろうか?

貧困を経験した個人の在り方とは?

毎日の生活が困難である人間は悩みを明かさないことが多い。
私も一人で孤立し、貧乏を堪えており時に悲しくなるのだ。
しかし、どんな状況であれ人の精神は自由なので貧困に負ければそれも失われる。
私は貧困でも真面目に生活しており曲げる気はない。
別に貧乏だから他者に劣るという訳ではないのである。
つまり私は日々の貧困を恥じてはいないということだ。



明らかに貧乏を実感している生活

私が貧困を考えると国や政治の在り方にも意識することが多い。
結局は自分の仕事と生活だが、政治と大きなかかわりがあり、他者に頼りたくもなるのだ。
なぜなら、貧困の原因の全てが過去の自分の行いに繋がるとは思えないからだ。
自己責任がすべてではなく、貧困化を解決すべく、政治の役割は大きいと考えている。
貧乏を感じるのは食事や財布を見た際である。
特に食事が貧相だと私は不安を感じるのだ。
こういう考えすぎな面が貧困を加速させるのだろうか?
いや、政治の腐敗が嘘の財政破綻と緊縮財政を加速させているにすぎないのである。



貧困の原因と周囲の環境や流れ

常に自らの立場を考えて行動していくには勇気が必要だ。
私も貧困を解決しようと具体的な行動をすることがある。
具体的には、政治家の落選運動と消費税を0にする運動である。
しかし結果は分かっており、贅沢になることはないのだ。
考えるのは周囲の環境が貧困に影響するかという部分だ。
良い国で補助などがあれば貧困の人たちが減るのだろうか疑問だ。

貧困の裏と生活する人々の気持ち

社会問題を痛感するなら私たちは政治的に動くべきだろう。
貧困は既に社会問題になり、私たちをすでに襲っているのだ。
これを改善するために節約や無駄遣いをなくす努力をすべきであると同時に財務省への抗議が必要だ。
私はそうした行動をしているが、効果を実感するのは恐らく先である。

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