社会人1年目、借金700万円
母の「大丈夫」という言葉を信じ…
念願だった志望大学に入学しても、明るい未来が必ず待っているとは限らない。私の場合、私立大学への入学が決まったが、実家が貧乏だったため、奨学金を借りて入学金や学費を支払うことになった。
当然だが、私立大学の学費は非常に高い。人文系の学科はもちろん、理系の学科になると実験用品や教材などの出費もかさみ、余計にお金がかかるのだ。
さらに都内の大学へ進学したいとなると、私のような地方組は引っ越し、賃貸アパートの費用など、大きなお金がかかってしまう。
初めから比較的学費のかからない国立大学を目指せばよかったのだが、自分の学びたい学校に進みたかった事と、母の「学費はなんとかなるから」という言葉を信じ、憧れだった都内の私立大学を目指したのだった。
高校生だった私には、母の「大丈夫」という言葉以上に心強いものはなく、なんの不安もなく大学進学を決めたのだ。
「お金は心配しなくていい」という母の言葉を信じて私立大学へ入学した私だったが、入学してすぐにあるオリエンテーションでのこと。
「奨学金制度利用者は、〇〇時に××講堂へお集まりください」というアナウンスがあり、母から渡された奨学金関係の書類を持って集合場所へ出向いた。
そこでは、奨学金制度の仕組みや、貸与方法、大学を卒業してからの返済方法や、返済義務などについて説明を受けた。
更に、母から渡された書類をよく読んでいくと、、、、「最終返済額700万円」の文字が。
私はそこで衝撃を受けた。こんな金額、返済できるのだろうか。
就職してから月々返済しなければならない金額もそこで知り、漠然と将来に対しての不安が大きくなっていった。
家に帰って母に電話して詳しく聞くと、「お金は心配しなくていい」とは、「奨学金があるから学費はなんとかなる」という意味だったようだ。
返済はというと、「自分が大学に行くお金なんだから、自分で支払うものでしょう」と母。
私は勝手ながら、だまされたような気持ちになった。
自分はまだ子供だと思い込み、母にすべて任せていた事にも腹が立った。
大学へ行くにはどれくらいのお金がかかり、奨学金を利用すれば利子がどれくらいで、将来月々いくら返済して数十年かかること、きちんと調べてから大学を選びたかった。
あとになって考えてみれば、「学びたいことがある」という単純な理由だけで、大学に入れるほど金銭的な余裕はなかったのである。
奨学金といえば聞こえはいいが、その実、社会に出た瞬間に多額の借金を抱えることに違いはないのだ。
薬剤師志望、友人Aの場合
地元の同級生で、薬剤師を目指して私立大学の薬学部に進学したAという女の子がいた。私とAは家も近く、家庭環境も似通っていたため仲が良く、別々の大学に入ってからも連絡を取り合っていた。
Aは、将来安定して稼げるからと薬剤師を目指していた。
しかし、薬学部では6年間大学に通う必要がある。
当然4年制の大学より2年分学費がかかってしまう。
更に、薬学部は特殊な学部で学費が高いうえ、薬剤の勉強をするための実験器具や教材なども高価なものばかり。
私と同じように入学してすぐのオリエンテーションで奨学金の返済額の大きさに不安になったAは、すぐに私に相談してきた。
私は共感しつつ、驚いた。
4年制の文系学部に進学した私の返済予定額は700万円だったが、6年生の薬学部に進んだAの返済予定額は1200万円、まだ成人もしていない私たち二人にとっては恐ろしい金額だった。
どうすることもできず、ただ不安だった私たちだが、この後Aはさらなる苦労をすることになる。
薬剤師への道は険しかった
Aは薬剤師を目指し、ハードな大学の勉強も頑張っていた。しかし、しばらくすると、こんな事を言い出した。
「薬学部なんて学費の高い学部にきてる子はみんなお金持ちの家の子。服も私生活も豪華で、一緒にいるのが辛い。」
私は心配しつつも、自分自身勉強に追われ、励ましのメッセージを送るのがやっとだった。
そして大学2年生の頃、地元に帰省した私は久々にAと会い、その変貌に驚いた。
Aは、華やかな他の学生との格差に悩み、また、将来のしかかってくる奨学金の返済額におびえ、夜の仕事を始めていたのだった。
始めはアルバイト程度だったものが、今では毎日のように出勤し、朝方家に帰って少し休んだら、そのまま朝の授業に向かう。
そんな過酷な生活をしているAは、服装こそ華やかになったものの、疲労からか痩せてしんどそうに見えた。
それから大学4年となり私が卒業論文に追われているころ、今度はAから「大学を辞めた」と連絡がきた。
話を聞くと、夜の仕事と昼間の大学の授業はやはり両立が難しかったという。
国家試験を受けなければならない薬剤師を目指すための授業はとても厳しかった。
授業のテストでも成績が悪かったことや、仕事で疲れて朝起きられず何度も欠席を繰り返したことで、5年生に進学できないと大学から言われてしまったAは、追加で1年間通う事になればまた更に奨学金返済額が増えてしまうと考え、薬剤師の道を諦めてしまった。
大学を辞めたからと言って、それまでに借りたお金は返さなければならない。
4年間薬学部に通い、卒業できないまま、1000万円近い奨学金の返済だけが残ってしまったのだった。
Aは、「こんなにお金が無駄になった。はじめから薬学部になんか行くんじゃなかった。」と今でもよく言っている。
奨学金という借金を背負って
こうして私もAも、今は社会人となり、奨学金の返済に勤しんでいる。月々数万円の返済額、新入社員の身には決して軽いものではない。
憧れだった大学を卒業し、その学歴は無駄ではなかったと思う。
しかし、学費のこと、返済のこと、社会人になったときのこと、高校生だった私に伝えられるならば伝えたい。
「奨学金」は確かに学びたい学生の助けにはなるが、借金には変わりがない。
そのリスクを知ったうえで、大学、そして就職、と考えなくてはならないのだ。
うちのばあさんとある大学生の話
Aは近所で起こった交通事故の野次馬をしているときに、同じように野次馬をしていた時に私の祖母と出会った。社交的な祖母は若い男が野次馬に来ていたのを珍しがって話しかけたらしい。
そこで彼が大学生であるということ、すぐそばに下宿していること、そしてお金がないことを知って家に招く。
そこから祖父母と彼の週一の付き合いは始まった。
そこで話していくうちに彼がどういう人物かを知ることになる。
彼は教師を目指していた。
それは、彼がこれまでにいじめやネグレクト、虐待されていたからだった。
親や同級生にも虐げられる中である教師に出会う。
それが彼の将来を決めることになる。
その教師は決して彼を見捨てることがなかった。
居場所のない彼の居場所になった。
だから僕は自分のような居場所のない子のための居場所になるために先生になるんだ、とそう教えてくれた。
だが、教師になるといっても教員採用試験は狭き門。
そう簡単には受からない。
結局彼は大学院に進学ことになる。
当然生活費だけでなく入学金や学費も「自己」負担である。仕送りがないからだ。
これまで彼は奨学金と片道1時間かけて通う塾講師のアルバイトや、祖父母の家で私の妹の家庭教師をしながら生計を立てていたが、入学金が足りない。
そこで、塾講師が終わった後は下宿近くのスーパーマーケットで深夜の荷下ろしをしてお金を貯めた。
そこまでしながら彼は国語、社会、英語の中学・高校の両方の教員免許を取得した。
ここまでの資格を取る人間はそういない。
1つ取得するだけでもかなりの労力がいる(実際、私はそれを知って取得をあきらめた)。
それを彼は6つも取得したのだ。
何が何でも教師になるんだという強い意志が表れている。
実際、面接でも驚かれたらしい。
こうして彼は昨春無事地元の私立の学校に就職することができた。
だが、日本の奨学金制度のほとんどが貸付型である以上、今後それを返済していかなくてはならない。
彼は月に10万円もの奨学金を借りていた。
これが6年分。
これをこれから返済していかなくてはならない。
学資時代の貧困はそれからの人生でも付きまとってしまうのが今の日本の現状である。
そしてお金の問題もそうだが、彼の場合もう1つの貧困問題を抱えていた。
愛情である。
下宿を引き払う時、彼は祖父母の家を訪ねた。
そこで彼は祖母にハグをさせてほしいと言った。
僕はこんなに人に良くしてもらったことがない。
そう言いながら泣きながら祖母と抱き合ったらしい。
いじめや虐待は人の心まで貧しくする。
彼は彼自身の努力もあっただろうが、救われた人間の一人だろう。
それ以外に救われない人間もいるということも忘れてはならない。
願わくば、彼が一人でも多くの心の貧困を救わんことを。
そして私もそうすることを誓い結びとする。