なぜ工場は海外に行ってしまうのか?

液晶テレビ産業は何故衰退するのか?

液晶関係の製造と検査を7年程やっていました。
某大手の企業で派遣ではありましたが、従事していて感じた事は本当の競争とはなんなんだろうと思う事がありました。


大量生産を出来る企業は所謂寡占というものになりますが、その分沢山の従業員を雇うことから政府など当時、公的資金という形で企業に随分とお金をまきました。
そういう大名商売をしている企業というのは、本来努力しなければならない時期に、如何にして安い単価を求めて海外に移転するかという事ばかりで、人を育てるということを放棄していました。
勿論、職人とは違って工員なのでそういう面もありますが、その結果人的資源が衰退したのではと思います。



液晶とはこうだ

少し液晶の仕組みをお話しますと、ブラウン管と液晶の違いは製造していくなか、ブラウン管は小さいものを作るのが苦手です。
液晶はその逆になります。


昔、ノートパソコンなどはかなり高かったのですが、光学フィルムも塗料の開発が日本で進んで随分と安くなりました。
大手としては日航電工という会社がやっていましたが、当時は工場は隣ですぐ仕入れる事が出来ました。


液晶は小さい携帯やゲーム機の液晶はたとえ欠陥が見つかっても切り落とせばいい、という事なので単価は安いのですが小さい液晶は歩留まりがいいので薄利多売が可能でした。
ちなみにパチンコ屋さんで使っている液晶は、今は解りませんがその対象でした。
時期が終わるとすぐ廃棄されるので画面がうつればいいという発想の商品です。



なんで衰退したのだ?

私は液晶から離れ、光学フィルムのメーカーに就職をしました。
もともとフィルムを張り付けるオペレーターという事で、フィルムの仕組みを熟知していましたが、実際に入るとここの企業は社長はただの銀行マンでした。


実は、こうした会社はよくあって銀行員の天下り先がこうした工場の社長ポストというのがままあるのです。
勿論、製造なんてやったことがありません。経理的なところはできても、モノづくりは何が大事なのかなんてやった事はありません。


そうなるとどうやって儲かるのかというところに、特に短期的な成果に終始します。
私も品質保証という分野で上と掛け合いましたが、信用を無くすと仕事がもらえないようになるという懸念は、リーマンショックにそれが顕著に現れました。
しかし上層部はそれを教訓にしない出来ないのです。



ものづくりとはなんだ

これはモノづくりとは違いますが、大塚家具のお父さんは春日部からリヤカーで大手町まで、一日一個のタンスを販売するために往復していたというのは有名な話です。
商売とは実際自分が交渉したり、商売には信用が大事など下積みをした人間は、何か起きた時にすぐ判断し対処する事も可能だと思います。
しかしその娘は結果失敗し、いい大学を出てキャリアを積んでも結果子会社になるという最悪の結果になりました。
モノづくりも一度も現場を訪れない人がモノづくりを知っているでしょうか。


大手電機メーカーの時も、一億円する機械が動かないというトラブルを見にもきませんでした。
そうした横柄な思考が結果日本では液晶を海外に取られてしまうというのが現状です。


結果どうなったのか?従業員の大量解雇です。
尻ぬぐいは末端に来てしまうというのが現実ですね。

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