東北大震災
大地震とあの日の記憶
2022年の3月16日の夜中に東北では最大震度6強を記録した。東北のいわき市に実家を持つ私にとっては、一瞬、11年前の東北大震災を思い起こした。
伝えられるところによるとあの時以来、東北地方では震度5以上の地震は5回ほど発生しているといわれる。
人間の時間単位だと2年に一度の割合だが、地球の年齢にすると数秒または数分単位で発生していることになり、やはり地球の地表というのは常時動いているのである。
ただ、11年前のような大規模な津波が発生しなかったことは不幸中の幸いであった。
東北大震災のあの日の記憶
平成23年3月11日、東京・町田の娘宅にて小学校下校時の孫を待っている時、“それ”の始まりであった。始めガサガサと響いた後、家全体がユサユサと揺れだした。
長閑な日和の中で、とりとめも無いテレビを見ていたが突然の揺れに驚き、思わず立ち上がってテレビを消した。
揺れがやや大きく感じながらも、すぐ収まるであろうとタカをくくっていた。
だが、揺れは益々大きくなるばかりで、半ば恐怖を感じながら見ていた薄型の大型テレビの本体が今にも倒れ込んで来そうなので、テレビをしっかり押さえ込んで収まるのを待った。
その時は既に停電が発生していた。
ラジオによる恐ろしい予報
さすがに揺れが収まってきて一安心していた頃、15分か20分も過ぎたろうか、2回目も揺れがやってきた。再び、テレビの転倒をおそれてしっかりと押さえ込んでいるとき、正面に見えているファミ・レスの瓦屋根が激しく砕けて落下していった。
早速ながら、携帯ラジオが地震の程度や震源地などを伝えていたが、驚くことに津波注意報が発令され、その大きさ、規模がなんと何と最大で10m以上であることを緊張の面持ちで伝えていた。
そのことが、今でも驚くと同時に印象に残っているのであった。
現在進行形の原発事故
東日本大震災は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、及びその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.0mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。
私たちはあの時の惨状をテレビで目の当たりにしたのであった。
また、地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所では、全電源を喪失して原子炉を冷却できなくなり、大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展した(福島第一原子力発電所事故)。
これにより、原発のある浜通り地域を中心に、周辺一帯の福島県住民は現在も長期の避難を強いられているのである。