埼北の実態経済
故郷の深谷市英雄の渋沢栄一
今般、渋沢栄一がなんと10、000円の紙幣として作られるという事で、故郷である深谷市出身の私にとっては名誉な話ですが、実は深谷市と言っても、生家は旧岡部町に近く駅からも結構離れているところにあります。17号バイパスのもっと北側、実はここら辺で作っているネギは深谷ネギが多い訳ですが、それぐらい辺鄙なところが生家なのです。
駅は東京駅のようにレンガづくりに今から20年くらい前に建て替えられました。
見た目は立派ですが、自分としては改札が前の方が楽だったように思います。
新しくなったから中になにか新しいお店やモールが出来るのか?と思ったら何も出来ていませんでした。
埼北の経済を少しお話します
埼玉県北部は所謂埼北といわれ実は埼玉県でも見捨てられた土地となっていました。リーマンショックの時もそうですが、埼玉そのものが他の県平均求人より遥かにしたでした。
当時沖縄の有効求人倍率は0.24だったことが最低ですが、その次に0.28というのが埼玉県でした。
実は埼玉県は意外に自動車産業が多くあり、景気に左右されやすい自動車産業が不景気になると、景気が悪くなるというのが埼玉県の悩みでした。
勿論、埼北にはNECや東芝と言った大手の企業もありましたが、どんどん中国に生産拠点を移すようになり、丁度氷河期と言われた時代から熊谷市や深谷市本庄市と言った埼北の求人はずっと平均を下回っていました。
ではなぜこうした事になってしまったのか。
ベットタウン化として使えない
埼北は群馬県と接している事もあり、都心例えば大宮に出るだけでも一時間近くかかってしまいます。上野へ行ったり、池袋、新宿などを目指そうとするとそれだけ遠くなります。
割合、都心部に近い、大宮や上尾市、あるいは川越市や和光市あたりでは県がベットタウンとして駅前などを開発してきましたが、利便性の少ない埼北はこのベットタウン化から除外されてしまったように思います。
そこで新幹線の開発などがあるのですが、本庄早稲田駅ができましたがもともと熊谷にも駅があるのに、なぜあんなところに駅が必要なのか?
疑問視を当時から地元ではしていました。
このように開発が埼北はちぐはぐで、企業誘致もあまり積極的でもないので、工場関係の求人は主に橋を渡って群馬県に頼る事も少なくありません。
埼玉県の医療の崩壊
埼北もそうですが、医療崩壊と最近コロナで問題となっていますが、実は埼玉県は医師不足が深刻でした。そこへ来てのコロナです。
もともとたらいまわしの問題もあって、前知事上田知事は4期やってきましたがこれを放置していました。
特に埼北の医療体制はずっと脆弱でしたが、最近になって日赤が新しくなりました。
特に、小児科の数が実は少ない。
これでは安心して子供を育てる事が出来ないというのが特に埼北では散見出来るのです。
加えて、産業の停滞。
特に深谷市駅前はキンカ堂がありましたが、キンカ堂自体が無くなってしまった結果、駅前が非常に寂しくなりました。
今般深谷市がピックアップされる事となるのかもしれませんし、ドラマもあるようですが、肝心の深谷市は発展が難しいのが現状です。