【プロレスラー】ランディ・サベージ

ランディ・サベージその始まり

1952年、アメリカオハイオ州にある男の子が生まれた。

彼の名前はランディ。

父であったアンジェロはプロレスラーであったが、ランディは野球の道を選んでいた。

だが、ランディはケガをしてしまい野球選手としての人生は挫折することとなった。

しかし、それでもランディはそこでめげるような男ではなかった。

父アンジェロをまねてプロレスラーの道へと走っていったのだった。

その後、父の経営する団体に入ったランディは持ち前の運動神経でただの親の七光りではないことを証明していった。

そんなランディの人生に明るい光がさしてきた。

彼は1984年に後に彼と同じく数奇な人生を歩むことになるエリザベスと結婚をした。



世界最高の団体へ

やがて、父の経営していた団体は解散となった。

普通のレスラーの場合はそこで諦めるが、ランディはそうではなかった。

その努力があってか、1985年には全米マットを侵略しかねない勢いのあったWWFに入団することとなった。
WWFの総帥であるビンス・マクマホンは彼の高い技術と自己表現力に魅力を感じていた。

そして、それは正しかった。

やがて、人気者になっていったランディは常に脇に妻であるエリザベスをつけた。

現在では当たり前になった女性マネージャーであるが、このランディとエリザベスの鴛鴦夫婦がその形を生んだといわれている。

WWFではリッキー・スティムボートやアルティメットウォリアーという絶対的ヒーローを引き立たせる悪役をやったかと思えば、リック・フレアーやジェイク・ロバーツ、ドインク・ザ・クラウンのようなヒールを相手に戦うヒーローもやった。

そしてそのどれもが大成功を収めた。

彼は天才だったのだ。



宿命のライバル

しかし、WWFにはそんな彼の栄光に影を与える存在がいた。

その男の名前はハルク・ホーガン。
1980年代〜1990年代にかけて全米マットはもちろん、当時ストロングスタイルといわれる実力勝負が賞賛されていた日本でもその才覚を見出していた。

ランディはハルクの存在に嫉妬を始めた。

ランディにはないパワーとサイズ、そしてカリスマ性があったのだ。
その一方でハルクもランディを嫌っていた。

ランディにはハルクにはない運動神経があった。


ホーガンは複数の技を使うことができる男だったが、ランディは少数の技だけで試合を構築できる天賦のセンスがあった。

ハルクは少ない技だけで試合をもりあげるランディに内心ジェラシーを感じていた。
ランディとハルクの関係を知ったビンス・マクマホンはあえて二人を組ませた。

当初はいがみ合いながらも試合をしていた二人だったが、次第にお互いのエゴをだしあう性格を嫌い犬猿の仲となった。

ランディは決して不人気ではなかったが、常にハルクの影にいた。

それをランディは嫌っていたのだ。

運命の分かれ道

1990年代、ハルクは古巣だったWWFを捨ててライバル団体のWCWにうつった。

ランディはかつてのライバルを追いかけて、WCWに同じくうつった。
そして、その頃常に寄り添っていたエリザベスと離婚をしてしまったのだ。
これが彼の運の尽きだったといえるだろう。

WCWでの彼の人気は思うように集まらなかった。
ランディの人気はエリザベスと一緒にいたからこそのものだったのだ。

ところが、逆にホーガンは「nWo」といわれる悪役ユニットのリーダーになり大成功を収めた。

ランディはここでもホーガンのかませ犬になってしまったのだ。

やがて、WCWが衰退すると彼は歴史とともに消えていった。

そして、2011年ランディは車の運転中に心臓発作に襲われこの世を去った。
まだ60歳にもなっていなかった。

こうして書くと不運続きの人生であったが、いいこともあったのだ。

彼が死ぬ数か月ほど前、ランディは背中の手術を受けているホーガンの病室を訪ねた。

ここで犬猿の仲だった二人は和解したのだった。

どん底に行ってしまった彼の人生、その最後は長い間の宿敵との和解という意外な物であった。

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